テレビでもSNSでも街でも広告が溢れている時代。
「広告がしんどい」「あれもこれも買えと言われている気がする」
広告を生業にしていますが、広告をしんどいと思う瞬間があることも正直わかります。
近年、SNSを中心に「買わせようとする広告」に疲れてしまうユーザーが増えていると言われているなか、注目されているのが「買わなくてもOK」と伝える余白のある広告。
押しつけない広告表現が、むしろ共感と信頼を集めるようになってきています。
今回は、「買わせない広告」が好感を持たれる背景とともに、実際の国内事例、そして中小企業でもすぐに応用できる工夫をご紹介します。

なぜ“買わない広告”が支持されるのか?
スマホを開けば、商品のおすすめ、期間限定のセール、今だけのお得情報がずらりと並ぶ情報があふれる中で、ユーザーは「本当に欲しいものだけ選びたい」と感じるようになっています。
そんな時代だからこそ、“買ってほしい”より“伝えたい”というメッセージが、人の心に響きやすいと言われています。
● 強制されないことで信頼が生まれる
「売り込まれていない」と感じた瞬間、人は自然と耳を傾けられると言われており、広告なのにリラックスして見られる余白こそが、信頼につながっていると言われています。
● SNS時代における共感の重視
シェアされる投稿の多くは、売ることよりも「あるある」や「ストーリー」に重きを置いてる傾向にあり、その根底にあるのは、「共感してくれるブランド」に対する親近感だと言われています。

国内の“買わせない”広告事例
ここでは、日本国内で実際に実践されている“買わせない広告”の事例をご紹介します。
無印良品:「買わない選択」も尊重するブランド姿勢
無印良品では、「買う理由がないものは、つくらない。」というコピーに象徴されるように、生活にそっと寄り添うスタンスを徹底。
SNSやYouTubeなどでは、商品の紹介よりも「暮らしのヒント」や「整える時間」といったテーマで発信しており、ユーザーの「共感したい」「知りたい」という気持ちを大切にしています。
「買ってください」ではなく、「こんな時間を過ごしませんか?」という問いかけに、多くのファンが惹かれています。

日本生命:「今すぐじゃなくていい」と言える広告
日本生命のCMシリーズでは、保険という“すぐに契約を決めるものではない”商品に対して、「今すぐじゃなくていい」「考える時間を持つことが大切」というメッセージを掲げています。
人生に寄り添うブランドであるために、「決めさせないこと」がむしろ信頼を生んでいる好例です。
北欧、暮らしの道具店:読むだけで満たされるエッセイ型広告
ECサイト「北欧、暮らしの道具店」では、商品紹介ページにエッセイや読み物コンテンツが豊富に掲載。
“つい読んでしまったら、たまたま欲しくなる”という設計になっており、購入がゴールではなく「暮らしを感じてもらうこと」が主眼に置かれています。
結果的に、コンテンツを通じてファンが育ち、ブランドへの信頼と購入体験が自然につながっていきます。

小さな会社でもできる
“買わせない設計”のヒント
大規模な広告キャンペーンではなくても、「押さないスタンス」は十分に実践できますので、中小規模の事業者でも取り入れやすい具体策をご紹介します。
● SNS投稿で“売らない日”をつくる
毎日の投稿の中で、あえて商品紹介をしない日を設けてる。
- スタッフの何気ないつぶやき
- 今日は静かな午後です
- この時期になると、こんな香りがしてきます
といった、共感・季節感・空気感にフォーカスした投稿が、ブランドに対する心理的距離を縮めてくれます。
● メルマガでも“お知らせしない”内容を織り交ぜる
メルマガでも、毎回キャンペーン情報ばかりでなく、「今日は最近読んだ本を紹介します」「スタッフおすすめの音楽プレイリスト」など、あえて売らないコンテンツを入れてみる。
「このブランドからのメールは読んでいて心地よい」と思ってもらえるかが、継続購読のカギになります。
● 店頭やチラシで「見てくれるだけで嬉しい」と書く
見落としがちですが、店舗内のポップやチラシにも“控えめな姿勢”はにじませられます。
たとえば:
- 手に取ってもらえるだけで嬉しいです
- 今日は見るだけでもOKです
- 一息つきたいときは、ぜひどうぞ
こうしたひと言が、お客様の“買わなきゃ”というプレッシャーを取り除き、結果的に居心地の良い空間になります。

広告とは「売ること」だけでなく、「関係を築くこと」でもあると考えています。
押さない姿勢、買わなくてもいいよという余白は、ブランドに対する好感と信頼を育て、長い時間をかけてファンを増やす力になります。
短期的な売上よりも、「また見に来たくなる」「読んでいたくなる」ブランドを目指すなら、“買わせない広告”という選択肢が、今の時代にはしっくりくるのかもしれないと思っています。