制作の現場では、「このアカウントのような動画を作ってほしい」と相談をいただくことがあります。 提示されるのは、すでにSNSで数万人のフォロワーを抱えている、いわゆる「正解」のアカウントであることがほとんど。
数字という結果が出ている以上、私たちもそのリファレンスを無視するわけにはいきません。 しかし、言われた通りの構成や演出をそのままなぞってしまえば、それは単なる「劣化コピー」になってしまいます。
私たちはプロとして、この「模倣」と「参考」の曖昧な境界線をどう歩けばいいのでしょうか。
今日は、私たちが現場で実際にどう考え、どう制作に向き合っているかをお話しします。

「正解」の重力は、とても強いもの
素晴らしいリファレンスを見た直後に構成を考えると、どうしてもそのイメージに引っ張られてしまいます。 「構成はこうで、テロップのタイミングはここで……」と分析すればするほど、出来上がったコンテは「そのアカウントの偽物」のような顔をしています。
「これで納品していいのだろうか?」
「いや、クライアントの要望はこれなのだから、これが正解なのか?」
そんな自問自答を繰り返しながら、気づけば似たような動画を作ってしまいそうになる恐怖。 クリエイターの方なら、一度は経験があるのではないでしょうか。
無意識のうちに手癖がその「正解」をなぞろうとしてしまうのです。

似てしまうリズムを、物理的に「断ち切る」方法
そんな時、意識的に行っている「抵抗」があります。 それは、参照元を一つに絞らないこと。
Aのアカウントからは「構成」を、Bからは「色使い」を、Cからは「フォントのあしらい」を借りる。複数の要素を掛け合わせることで、特定の誰かになることを防ぐ。これは基礎的な回避術かもしれません。
それでも、動画特有の「間(ま)」や「テンポ」が似てしまうことがあります。 そんな時、私はあえて動画の中に「静止画」や「風景」といった、異質な素材を差し込むことがあります。
これは映像編集のテクニックとしては、決して珍しいものではありません。「ありきたりな手法」と言われればそれまでですが、この手法を採用する時の私の意図は、演出というよりも「リズムの破壊」にあります。
動き続ける参考元の動画が持つ「心地よいリズム」を、あえて止まった画で強制的に断ち切る。 そうすることで初めて、その作品は「誰か」のコピーから脱却し、私たち独自の息遣いを持ち始める気がします。
「継ぎ接ぎ」の先に、自分の意思はあるか
ただ、リファレンスを分散させ、静止画でリズムを変えたとしても、まだ何かが足りないと感じることがあります。 それは、「自分なりのアイデア」。
既存の要素をうまく編集してまとめただけのものは、所詮「綺麗な継ぎ接ぎ」でしかありません。そこに、作り手としての「意思」は乗っているでしょうか。
「流行りはこうだけど、この商材ならあえて泥臭い演出を入れるべきではないか」
「ターゲットの生活時間を考えたら、もっと落ち着いたトーンが必要ではないか」
そうした、自分の中から湧き出た仮説を一滴でも混ぜ込むこと。 それがノイズになるかもしれないという恐怖と戦いながら、それでも「自分の解釈」を信じて提案します。
その「たった一つのオリジナルの要素」が入って初めて、私たちは胸を張って「制作しました」と言えるのだと思います。
迷いながら、進むしかありません
偉そうなことを書きましたが、毎回自信満々で納品しているわけではありません。「これはオマージュなのか、それとも……」と、公開ボタンを押す直前まで胃が痛くなることもあります。
模倣と創造の境界線は、いつだって曖昧。 だからこそ、私たちは悩み続けなければならないのだと思います。
簡単に「正解」に飛びつかず、迷い、立ち止まり、既存の要素を解体し、そこに自分の魂を少しだけ混ぜて再構築していく。 その「迷い」のプロセスこそが、AIにも、単なるオペレーターにも出せない、クリエイターだけの価値だと信じています。